今回は、お釈迦様の教えについて、簡単に書いてみますね。
私たちが生まれた時より、綺麗な魂になるため日々修行をしていく上で、わかりやすい道標になりますので、参考にしてみてください。
六波羅蜜(ろくはらみつ)
六波羅蜜は、悟りを開くための6つの修行のことです。
「 布施 ( ふせ ) 」「 持戒 ( じかい ) 」「 忍辱 ( にんにく ) 」「 精進(しょうじん)」「禅定(ぜんじょう)」「智慧(ちえ)」の6つのことをいいます。
布施
お布施の内容は、とても広い範囲に及びます。知らないうちに毎日たくさんのお布施をしていることに気づきます。
よく知られているのは、お金やものを人のために使っていただくことをいいます。他に、目には見えない内容を人に喜んでもらう行いをすることや、周りを和ませることも「布施」といいます。
● 法施:知識や教えなどを伝えます
● 眼施・顔施:明るく優しい顔で接することで、優しさを伝えます
● 言施:温かい言葉をかける
● 無畏施:恐怖心を取り除き穏やかな心を与える
● 身施:何かをお手伝いします
● 心施:善い行いをほめる
● 座施・舍施:場所を提供します
一日ひとつでも、できることを積み重ねていきたいですね。
持戒(じかい)
いつも相手のことを考えて、その人に良かれと思うことをしながら生きていくことをいいます。
忍辱(にんにく)
周りに対して、常に寛容な心でいることが忍辱です。悲しいこと、辛いことがあっても落ち込まずに頑張る気持ちを保ちます。
精進(しょうじん)
自分に対して、周りに対して、ひたむきに最善を目指して、努力を続けることを精進といいます。
禅定(ぜんじょう)
常に落ち着いた心を保ち、何があっても動じないことを禅定といいます。
智慧(ちえ)
自分の心の中の光が見え、相手の心の奥にある光が見えることをいいます。真理を見極め、真実を認識する力を智慧といいます。
八正道(はっしょうどう)
八正道も、悟りを目的としてする修行の8つの修行方法です。字の通り、八つの「正しい」道を説いています。
正見(しょうけん)
物事をありのままに見ることを正見といいます。理由はどうであっても、現在自分の前に起こっていることは全て、自分が選択したことの結果であることを見つめます。
正思惟(しょうしゆい)
正しく考え、正しい意志を持つことを正思惟といいます。
自然に生きていると、欲や、恨みや、妬み、怒り、愚痴などの煩悩に翻弄されてしまう心を、それらの煩悩から遠ざけて、正しく考えるようにしましょうという教えです。
正語(しょうご)
正しい言葉を使いましょうという教えが、正語です。
悪口(あっこう)と言われる誹謗中傷・両舌(りょうぜつ)と言われる二枚舌・妄語(もうご)と言われる嘘・綺語(きご)と言われるお世辞などを言わず、優しい言葉を伝えることをよしとします。
正業(しょうごう)
業とは、行いのことです。正しい行いをするという意味の正業。人のものを盗まず、生きているものを殺さず、邪な関係を持たないことを教えています。
正命(しょうみょう)
規則正しく、正しい生き方をすることを正命といいます。
正精進(しょうしょうじん)
正しく精進しましょうという教えです。間違った方向ではなく、正しい生きる目的に向かって努力をすることを教えています。
正念(しょうねん)
正念は、正しい信念を持って生きましょうという教えです。
正定(しょうじょう)
心を鎮めて、一つのことに集中しましょうという教えです。
三法印(さんぼういん)
仏教における基本的な3つの理念のことを三法印と言います。
諸行無常印・諸法無我印・涅槃寂静印という教え
諸行無常印(しょぎょうむじょう)
「全ての現象は、無常である」= 私たちの周りに起こる全ての現象は、時とともに変わりゆくものであり、変わらないものはないとの教え。平家物語の冒頭にも出てくるこの言葉。諸行とは、因縁によって引き起こされる、この世の出来事、森羅万象を指しています。
時には、変化を受け入れるのが難しいこともありますが、物事は、常に変化していると知っていると、楽に生きることができるようになりますね。
諸法無我印(しょほうむがいん)
「全てのものごと(法)は自己ならざるものである」= この世に存在する全てのもの・ことは何かしら他のもの・ことと関連していて、単独で存在するものはないという意味。
人は、一人では生きていけないし、全てのものは、それだけで存在はできていないのだなあと、改めて感じます。
涅槃寂静印(ねはんじゃくじょういん)
「涅槃・ニルヴァーナは心に安らぎを与える」= 人の欲望である煩悩や執着の炎を全て消し、安楽の世界で心穏やかに過ごす。
抱えている煩悩を手放すと、苦しみから解放されるという教えです。
縁起(えんぎ)
縁起が良い、悪いと使うことが多い「縁起」という言葉。元の意味は、ちょっと違います。
全ての物事は、互いに関連し合って発生するという意味なのです。縁る(よる)ことにより起こると言います。
元は、人の迷いを説明するための12縁起という内容で、無明(むみょう)・無知がある→行(ぎょう)・心が動く→識(しき)・意識が動く→名色(みょうしき)・意識に名前と形が伴う→六入(ろくにゅう)・感覚器官で→触(そく)・触れて感じる→受(じゅ)・感受する→愛(あい)・愛する→取(しゅ)・愛着が生じる→有(う)・生存する→生(しょう)・人生が展開する→老死(ろうし)・死を迎えるという人生の流れを説いたものが発祥。
執着などの煩悩とともに死んでいくのが人間と説明しながら、煩悩を産まないためには、最初の無明を存在させなければ最後の老死もないとして、煩悩に迷わされないための修行の説明ともしていました。
後に迷いを説明する内容から、仏教の宗派ごとに人の心を深く説明する内容として変化しています。
元の意味と異なる、縁起が良い悪いという使い方は、江戸時代から始まったと言われています。